文章: ハイカー根津のHIKER'S DELIGHT Vol.6「ネパールローカルハイキング in チャンドラギリ」
ハイカー根津のHIKER'S DELIGHT Vol.6「ネパールローカルハイキング in チャンドラギリ」



2025年4月、僕は日本を離れ、ネパールのカトマンズで暮らしはじめた。
せっかく住んでいるのだから、地の利を活かしたハイキングレポートを発信したい。そう思っていたのだが、今回ようやく実現できることになった。
ネパールのハイキングと聞くと、多くの人はエベレスト街道やアンナプルナ・サーキット、ランタン渓谷あたりを思い浮かべるかもしれない。でも、僕が紹介したいのはそういうメジャーどころではない。
実際に住んでみると、「え、こんな近くにこんな山が?」 「こんなに手軽に歩けるルートがあったのか!」と驚くことが多い。そういうところを紹介することで、ネパールをもっと身近に感じてもらえたら、そしてもっと気軽に来る人が増えたら、と思っている。
第1回目の行き先は、カトマンズ盆地の南西にそびえる丘 「チャンドラギリ (Chandragiri)」。標高2,551m。ネパールではこれでも「丘」呼ばわりなのだから、スケールが違う。
ケーブルカーで頂上まで行ける観光地として有名なのだが、僕の目的はもちろん歩いて登ること。地図を眺め、ネットを漁り、ようやく見つけたのが今回のルートだった。
ラグ・ラゲ・パカ公園をスタートし、チャンドラギリ峠、チャンドラギリ頂上を経て、チャケル・デウラリにゴール。総距離は9.1km。要した時間は6時間。スタート地点までは、カトマンズ中心部からバスで約40分。ゴール地点から麓の村まではバスで約30分。
公園を抜けて深い森へと入っていく

登山口は街外れの公園だった。ネパールのトレイルヘッドはたいてい看板がなく、道も曖昧で、ど こから登ればいいのか迷うことが多い。でも今回は、公園スタートというわかりやすさがありが たい。
入口で掃除をしていたおばちゃんに「ナマステー!」と声をかけて、いざ出発。最初は階段がつ づき、手すりまである。
まだ公園の中なのか? もう出たのか? そんな疑問を抱きつつ40分ほど歩くと、階段が終わり土の道に変わった。ここからが本番だ。

人の気配はまったくない。道に落ち葉が積もり、人が歩いた形跡がない。草は伸び放題で藪もある。でも、その孤独感が心地いい。聞こえるのは、時おり風に揺れる葉の音と、自分の足音だけ だった。
ただ、厄介だったのは蜘蛛の巣。気を抜くと顔にまとわりつく。途中から枝を拾って、振り回しながら進むことにした。
峠の茶屋でチョウメンを食す

1時間ほど登ると、木々が頭上を覆い、辺りは昼間とは思えない薄暗さに包まれた。道も急斜面に変わった。息が上がる。カトマンズの丘と侮るなかれ、45度はあろうかという斜面がつづく。汗がポタポタとしたたり落ちる。
2時間が経ったころ、ふと振り返ると木々の間から雪をいただいたヒマラヤが見えた。「なんだ、もう居たのかよ!」と、苦笑いする。あまりにあっけなく現れたことに拍子抜けした。
稜線に出ると、ようやく傾斜がゆるみ、風が心地よく吹き抜けた。遠くに連なる白峰を眺めながら、心拍数が落ちていくのを感じる。

現金なものだ。すこし余裕ができると、すぐ欲が顔をだす。僕の頭の中はランチモードに切り替わっていた。
稜線上の峠には茶屋がある。ここで昼食を食べよう。先は長いしがっつりダルバート(ネパールの定食)を食べようか? いや気温も高いしフライドライス(ネパールのチャーハン)の気分かな? うーんチョウメン(ネパールの焼きそば)も捨てがたい。でも、まずはコーラで喉を潤そう!

11時過ぎ、峠に到着。3軒の茶屋が並んでいた。どこを選ぶか悩ましい。1軒ずつまわって、ダルバートある? と聞くと、3軒ともないと言われた。どうやら軽食しか出していないらしい。
仕方なく感じの良さそうな女将さんがいる店に入り、チョウメンとコーラを頼む。運ばれてきたチョウメンは、いたって普通の焼きそばだ。しかし、山の中で食べるそれは格別。スパイスと油の香りが鼻をくすぐり、空腹のカラダに染みわたる。
コーラと合わせて220ルピー(日本円でおよそ240円)。味も値段も街と変わらないのがうれしい。僕はひとり、茶屋の窓からのどかな風景を眺めながら、ゆっくりと噛みしめた。

チャンドラギリの頂上を独り占め

自然も楽しんだし、ヒマラヤも眺められたし、お腹もいっぱいになったし……もはや僕は満たされていた。しかし、このハイキングルートのハイライトは、一応チャンドラギリである。この峠からは1時間足らず。12時になり、ふたたび僕は歩きはじめることにした。
やがて視界が開け、舗装された広場に出た。ここがチャンドラギリの頂上(標高2,551m)だ。売店があり、展望台もあり、頂上の標識もある。まるで高尾山の山頂のような賑やかさ……いや、かつてはそうだったのだ。

今日は人がいない。理由は、ケーブルカーが動いていないからだ。実は、ネパールでは9月頭に大きな暴動が起きた。その際、このケーブルカーの山麓駅の施設が焼かれ、営業休止になっているという(その後復旧し、現在は営業中)。皮肉なことに、そのおかげで僕は静かな頂上を独り占めできた。ただ、ヒマラヤには雲がかかりはじめていた。
さらにその奥には、ヒンドゥー教の聖地・バレスワール寺院がある。ここは、ヒンドゥー神話に登場するサティ女神(Sati Devi)の身体の一部が落ちた場所とされていて、多くの巡礼者が訪れる聖なる丘でもあるのだ。
巡礼という行為を考えると、ケーブルカーでいとも簡単に来るよりは、自分の足で歩いてここまでたどり着いてお参りするほうがご利益がある気がするのは僕だけだろうか。

見知らぬ村で見知らぬ人と昼酒がはじまる

チャンドラギリを越えれば、もう急登もなければこれといったスポットもない。下り基調のゆるやかな道がつづく。1時間ほど歩くと、小さな村チャケル・デウラリに出た。標高2,250m。時刻は午後1時40分。
この村で休憩しながら、今日のゴールを考えることにした。実は今回のゴールは明確にしておらず、複数の選択肢を持ちながら歩きつつ決めようと思っていたのだ。
というのも、初めての山域かつハイキング情報が少ない(ほとんどの人がケーブルカーを使うため)ということもあり、自分がどこまで行けるかがわからなかったのだ。行けるなら20kmくらい歩こうかとも思っていたが、無理そうなら手前のいくつかのエスケープルートを使うつもりだった。

村で最初に出会ったおじさんに「ナマステー!」と挨拶する。にっこり笑って返してくれた。感 じが良かったので僕はつづけた。
「サンツァイ フヌフンツァ?(元気ですか?)」
「サンツァイツゥ! タパーインニ?(元気です、あなたは?)」
「マ パニ サンツァイ ツゥ!(僕も元気です!)」
これで終わるかと思ったら、おじさんがつづけた。
「チャン カーンチャス?(チャン飲むか?)」
突然の誘いだった。これが初めてのネパールだったら躊躇したかもしれないが、こういう経験は一度や二度ではない。僕は条件反射のごとく「マライ チャン マンパルツァ!(僕はチャンが大好きです!)」と言い、一緒に飲むことになった。

誘われるがまま、民家の軒先に腰を下ろす。これがネパール流の居酒屋だ。出てきたのは黄色の液体。トウモロコシのチャンだ。
ひと口飲む。ドロリとして重い。液体というよりおかゆの食感に近い。でも香ばしく、ほんのり甘い。手作りのぬくもりがある。アルコールは弱いが、カラダの芯がじんわり温まる。
「デレイ ミトツァ!(すごくうまい!)」と僕が言うと、おじさんは嬉しそうに笑い、さらにロキシー(焼酎に似た蒸留酒)を持ち出した。

酔いどれ下山、夜はまだまだ終わらない

チャンを飲み、ロキシーを飲み、つまみにはヤクのスクティ(干し肉)。これがまた強烈にうまい。噛めば噛むほど旨味が滲みでて、チャンとロキシーとの相性が抜群だ。
気づけば午後3時を回っていた。「これはもう歩けないな」と笑いながら靴紐をゆるめる。今日 のハイキングはここで終了だ。

「バスある?」と聞くと、おじさんは「泊まっていけばいいじゃないか」と笑う。どうやら宿があるらしい。でもその直後に、宿が休業中であることを知る。おそらくこの日はティハールというヒンドゥー教のお祭りの期間中だったこともあり、休みだったのかもしれない。あらためて「バスはある?」と聞くと、別の人が「あるよ。そのうち来るからしばらく待ってて」という。
ただ、40分くらいたってもバスが来る気配はない。結局は村の人たちと一緒に歩いて下山することにした。

途中、後ろからやってきたバスに拾われ、なんとか麓へ。すると、おじさんがまた言う。「ちょっと寄っていこう!」
そのまま飲み屋をハシゴ。気づけば2軒、3軒、そして誰かの家に転がり込む。夜が更け、笑い声が響く。翌朝、見知らぬ家で目を覚ました僕は、見事な二日酔いだった。
カトマンズの街に戻るバスの中、窓の外には昨日歩いた丘の稜線が見えた。あの稜線の村で飲んだチャンの味が、まだ舌に残っている。
別れ際、おじさんはもう1泊していきなよとしきりに言っていたが、その誘いは振り切って帰る ことにした。また、会いに行かないとだな。

根津 貴央Takahisa Nezu
ロング・ディスタンス・ハイキングをテーマにした文章を書き続けているライター。2012年にアメリカのロングトレイル『パシフィック・クレスト・トレイル(PCT)』を歩き、2014年からは仲間とともに『グレート・ヒマラヤ・トレイル(GHT)』を踏査するプロジェクト『GHT project』を立ち上げ、毎年ヒマラヤに足を運ぶ。著書に『ロングトレイルはじめました。』(誠文堂新光社)、『TRAIL ANGEL』(TRAILS)がある。2025年4月ネパールに移住。現在、カトマンズ在住。









