Article: ハイカー根津の HIKER'S DELIGHT Vol.10 「静岡天竜・祈りの山と祭を歩いて結ぶ(前編)」
ハイカー根津の HIKER'S DELIGHT Vol.10 「静岡天竜・祈りの山と祭を歩いて結ぶ(前編)」


前回は、日本の歩き旅の可能性について書いた。
アメリカのロングトレイルに倣うのではなく、日本ならではの歩き旅に向き合い、その独自の魅力を大事にしたほうがいい。そういう話だ。
今回は、その実践編と言いたいところだが、正確には「実験編」と呼ぶほうが近い。
前回は方向性を示したにすぎない。それだけでは理想論や机上の空論に聞こえてしまうかもしれない。
そこで、その方向性をもとに、自分ならどんな歩き旅をつくるのか。どんなルートを組み立て、どんな旅をするのか。それを実際に自分で試してみることにした。
もちろん、これが正解だとは思っていない。そもそも、日本の歩き旅に最適解があるのかどうかは、僕にもわからない。
ただ思うのは、多くの人にとって、「新しい道が開通したから歩こう」とはなかなかならないということだ。人は、ただ道があるから歩くのではない。歩きたくなる理由があって初めて、その一歩を踏み出す。
では、どうすれば歩きたくなるのか。どんな旅なら、自分は歩いてみたいと思えるのか。
今回は、その問いに対して、自分自身を実験台にして試してみたひとつの事例である。
前編では、この旅をどのように発想し、どのようにルートを組み立てたのか、その着想から企画までを紹介する。そして後編では、実際にそのルートを歩いた旅の記録をお届けしたい。
いま振り返ると、この旅は地図の上に線を引く作業ではなかった。自分が本当に歩きたい理由を探す作業だったのだと思う。
ロングトレイルじゃなくてもいい
2012年、アメリカのロングトレイル「PCT(パシフィック・クレスト・トレイル)」を歩き、ロング・ディスタンス・ハイキング(長距離ハイキング)に魅せられた僕は、日本の「ロングトレイル」にも興味を持つようになった。

信越トレイル(長野・新潟)、高島トレイル(福井・滋賀)、北根室ランチウェイ(北海道)、ダイヤモンドトレール(大阪・奈良・和歌山)、山陰海岸ジオパークトレイル(鳥取〜京都)、奥津軽トレイル(青森)など、さまざまなルートを歩いた。
どれも楽しく、歩き甲斐のあるトレイルだった。しかし同時に、どこか満たされない思いもあった。
それは日本のロングトレイルに魅力が足りないということではない。歩いていくうちに、日本のロングトレイルは、僕がアメリカで歩いたロングトレイルとは別物なのだとわかってきたのである。
前回の記事でも書いたように、それは当然のことだった。日本とアメリカでは、自然環境も、土地の歴史も、そこで育まれてきた文化も大きく異なる。同じ「ロングトレイル」という名前で呼ばれていても、歩くことで得られる体験まで同じになるはずはない。
では、僕はアメリカのロングトレイルの何に、あれほど惹かれたのだろう。
あらためてPCTでの旅を振り返ってみると、僕が感じていたロング・ディスタンス・ハイキングの魅力は、「途上を楽しむこと」にあった。

自然の中を歩く。野営する。町に降りて補給する。その町を散策する。地元の人と話す。そして、また歩きはじめる。
僕にとって面白かったのは、ひとつの長いルートを踏破することではなかった。むしろ、歩いている途中で土地の風景や暮らしに触れ、さまざまな出来事を重ねていく、その一連の時間に惹かれていたのだ。
スルーハイクを達成することよりも、その途中に何があるのか。どんな土地を通り、誰と出会い、何を感じるのか。僕にとっては、そちらのほうが重要だった。
そう考えたとき、ひとつのことに気がついた。
僕は、それまで自分が「ロングトレイルを歩くこと」が好きなのだと思い込んでいた。しかし本当に好きだったのは、ロングトレイルという名前のついた道そのものではない。ロング・ディスタンス・ハイキングという、長い時間をかけて土地の中を歩きつづける行為だったのである。
僕が求めていたのは、ガイドブックや地図の上にあらかじめ定められた「ロングトレイル」を歩くことではなかった。
自分が興味を抱く土地があり、その土地の中に惹かれる道や場所があるなら、それらを自分なりにつなぎ、長い時間をかけて歩いてみたい。僕がしたかったのは、そういう歩き旅だった。
登山に置き換えるならば、特定の登山道が好きなのではなく、登山という行為そのものが好きだというのと同じである。
そう考えれば、当たり前のことにも思える。けれども、「ロングトレイル」という言葉にとらわれていた僕にとって、この違いに気づけたことは大きな発見だった。2014年〜2015年のことである。
自分が本当に歩きたい場所とは?

PCTでの経験を振り返って得た新たな気づきを通して、日本のトレイルを見つめ直したとき、自分が本当に歩きたい場所はどこなのか。そう考えたとき、まず重要なのは、自分がどこに興味を持っているのかだった。気になる場所は日本中にあった。
そのなかでも、強く惹かれたのが静岡だった。
僕は大学四年間を静岡市で過ごした。とはいえ、当時は登山もハイキングもしていなかったので、山深い地域のことはほとんど知らない。だからこそ、歩いてみたいと思った。自分がまだ知らない静岡を、自らの足で確かめたい。そんな気持ちだった。いわば、土地との出会い直しである。
そして2017年、静岡を歩く旅を考え始めた。ただ、静岡は広い。東部には伊豆があり、北部には南アルプスがあり、西部には浜名湖もある。選択肢は山ほどある。僕はどのあたりにするか決めあぐねていた。そんなとき、ひとつのヒントになったのが民俗学者の宮本常一だった。
2013〜2016年にかけて、僕は宮本の著書を貪るように読んでいた。
僕が惹かれていた「途上」の感覚は、その土地のことを知りたいという欲求でもあった。日本全国を歩き、庶民の暮らしや風習を記録しつづけた宮本のまなざしに、僕は強く惹かれていたのだ。
静岡に関する一冊の著作がある。1967年に刊行された『私の日本地図① 天竜川に沿って』(未来社)である(写真は2016年刊の新版)。

ひさしぶりに本棚から引っ張り出し、読み返した。そこには、天竜川そのものではなく、天竜川流域に点在する村々の成り立ちや、人々の暮らしが克明に描かれていた。
刊行から約50年(当時)が経ち、その土地の風景や人の暮らしはどうなっているのだろう。読みながらそんなことを考えるにつれ、実際にその土地を歩いてみたくなった。
信仰の山からつづく道
僕の根底には「ハイキングがしたい」という思いがある。それはすなわち、町から町へ舗装路を歩くのではなく、できるだけ自然の中を歩きたい。できるだけ山道をつなぎながら旅をしたい。
僕は地図を広げ、天竜川流域の自然環境をじっくりと見た。浜松市に位置する天竜川の河口から、徐々に上流へと目を移していくと、ひとつの山が目に止まった。秋葉山(あきはさん)だった。

調べてみると、秋葉山は火伏せの神(火災を防ぎ、火の災いから人々を守る神)として全国から信仰を集めてきた山だと知った。秋葉信仰があり、秋葉講(※)があり、そしてそこへ向かうための道、「秋葉街道」もある。
学生時代には見向きもしなかったこのエリアに、何百年も人々が信仰を寄せ、歩きつづけてきた歴史がある。そう思うと、一気に興味が湧いた。さらに調べていくと、『古道案内 信仰の道 秋葉街道』(白馬小谷研究社)という本の存在を知ることになる。

ところが、書店にもネットにも見当たらない。結局、発行元に直接電話をして郵送してもらった。そこまでして本を手に入れたのは後にも先にもない。この土地には、自分が歩きたい道がある。そんな予感がしていたのかもしれない。
秋葉山から秋葉街道を交えながら北へたどってみてはどうだろう。街道を忠実になぞるのではなく、舗装路が長くつづく区間は極力山道を使って歩こう。自分が面白そうだと思うほうへ進めばいい。少しずつ、自分だけのルートができていった。
※ 秋葉講:「講」とは、同じ信仰を持つ人々が作る集まりのこと。江戸時代、多くの庶民は一人で遠くの霊場へ旅をするのが困難だった。そこで、講と呼ばれるグループを作り、そこでお金を積み立てたりしていた。秋葉講は、秋葉山を信仰する人たちの講のこと。そのほか、代表的な講としては、伊勢講(伊勢神宮)、富士講(富士山)などがある。
フィナーレに相応しい信仰の祭
しかし、何かが足りない。「旅の終わり」が見えないのだ。
地図を見ながら、どこをゴールにするか考えた。天竜川の起点である諏訪湖まで行くこともできるが 、それは違う気がした。たしかに天竜川は今回のルートの着想にはなったが、天竜川自体に深い思い入れがあるわけではない。

考えあぐねていたある日、地図の中にひとつの地名を見つけた。
遠山郷(とおやまごう)だった。遠山郷といえば、霜月祭である。冬の深まる霜月(旧暦の11月)の夜、里の神社で夜を徹して行なわれる神事だ。神々を迎え、湯を捧げ、その力によって、衰えた生命をよみがえらせる。一年の終わりに、里と人を清め、新年の豊穣と無事を祈る祭である。
2010年頃に何かのTV番組で知ってから、一度訪れてみたいと思っていた場所だった。その瞬間にテーマが浮かんだ。秋葉山から歩き始め、天竜川の東側を北上し、最後は遠山郷の霜月祭で終わるというルートはどうだろう。信仰の山と信仰の祭を結ぶ、約70kmの道のり。これは面白そうだ。何よりも、旅の終わりに祭が待っている。これ以上ないフィナーレではないか。
天竜川。秋葉山。秋葉街道。遠山郷。霜月祭。それまで別々に存在していた点が、一本の線になったような気がした。ルートができたというよりも、歩きたい理由ができた。
2017年12月初旬、僕はこの旅を実行した。それは、僕にとって日本での新しい歩き旅の始まりだった。

根津 貴央Takahisa Nezu
ロング・ディスタンス・ハイキングをテーマにした文章を書き続けているライター。2012年にアメリカのロングトレイル『パシフィック・クレスト・トレイル(PCT)』を歩き、2014年からは仲間とともに『グレート・ヒマラヤ・トレイル(GHT)』を踏査するプロジェクト『GHT project』を立ち上げ、毎年ヒマラヤに足を運ぶ。著書に『ロングトレイルはじめました。』(誠文堂新光社)、『TRAIL ANGEL』(TRAILS)がある。2025年4月ネパールに移住。現在、カトマンズ在住。











